〈読書100〉【2】朝井リョウ『何者』2018/7/9~13

ごきげんよう、よしいです。

今回は朝井リョウさんの『何者』!

 

読了してから結構時間が経ってしまいましたが、GO!

 

※今回から反転して文章読んでもらう式やめました。

うまく文章化できないので。

なので普通にネタバレにします。ご注意を。

 

就活ネタ、というか

自身が通ってきた道なので親しみと高見の見物感をもって読んでいきました。

ずっと飽きずに読めた、良かった。

 

主人公・拓人の毒舌っぷりがよい。

冷静、でも共感性アリ。何だかんだアツいやつなんだぜ。

 

拓人に感情移入してしまう。

作中冒頭から「だから、そういう内輪の空気を出されると、正直、こちらとしてはちょっと冷める」(わ、わかる~)

拓人は読者目線に立って読者が読み進めていくうちに抱えていく不快感を見事言葉にしてくれます。すっきりポイントであり盛り上がりポイントでした。

 

p53「想像力」の話。

「想像力が足りない人ほど、他人に想像力を求める。」

この言葉『新潮文庫の100冊 2018』の小冊子にこの本の紹介の煽り?として載せられていて、今回この本を読んでみようと思ったきっかけの文章でした。

(webでもみられるよ☆彡)

www.100satsu.com

 

わたし的にはイキったやつにこういう言葉をわたしの代わりに放って頂いて、自身がスッキリしたい…!という魂胆のもとこの本を手に取ったのです。

 

しかしこの「想像力うんぬん…求める」っていうのが、わたしが思っていたこと違っていていました。本を読む前は自分にだってたいして想像力ない人が「おまえ想像力って言葉知ってる?おまえに足りないのは想像力だよ、想像力想像力、なんで先々まで考えられないかなあ、お前は本当想像力が足りないんだよ」みたいな、単に想像力って言いたいだけ(笑)もはやそれしか言えないあなたの方が想像力ないのでは(笑)という人に対して抱いた気持ちの言葉として受け取っていました。

 (そんなイキったやつにさらっと言い返しててすっきり、みたいな)

 

 ですが実際読んでみたら違う…?「想像力が足りない人ほど、他人に想像力を求める。」の後に「他の人間とは違う自分を想像してほしくてたまらないのだ。」と文章は続きます。

 これは主人公・拓人が以前一緒に舞台をつくっていた人物・キンジのブログに対する言葉です。

「自分にしかできない表現。舞台は無限。甘い蜜でコーティングをしたような言葉を使って、他人に、理想の自分を想像してもらおうとしている。」

 「想像力うんぬん…求める」この言葉は、キンジの耳障り良さげな言葉に拓人が嫌悪感を表していた言葉として出てきたわけですね。(なるほどなあ)

 

 まあしかしそんな彼の言葉。最後には違ったかたちではあるのですが彼自身にかえってきます。「想像力うんぬん…求める」の言葉、最初に私が思っていた意味のように、本当は彼はイキり野郎だったわけです。

 口先だけの気取った観察者、自分のことを棚に上げて他人を見下すし、偽善者…(ほんときついぜ)

 

 最後化けの皮が剥がされます。

うーん、ここまで言われてしまったら誰も実際何もできなくなってしまう。

…何者かになるためにする、してきた行動努力全て、嗤う行為は結局何者かになれなかった人たちに向けられる行為なわけで、なんていうか世の不条理を感じる…。

 成功するかしないかで周りからの評価が0か100かになるような感覚。

 いくら変人、変態でも成功していれば天才だし、どんなマイナス面でもプラスと捉えられて、楽しんでもらえて伝説になって。

 わたしもそんな風になりたい~成功を収めた「何者か」になりたい。

 努力必要だなあ。

 

 拓人も就職活動うまくいっていたり、舞台で成功していたりしたら今まで読んできた彼の言葉はすべてありがたい言葉として受け取っていましたが、現実の彼は結果的にそうではありませんでした。

 

 冒頭の「だから、そういう内輪の空気を出されると、正直、こちらとしてはちょっと冷める」って言葉も最初読んだときはわたしも単に共感していましたが、もう最後となれば「うるさいなあ、この人にも別の友人関係あるんだよ」と拓人に批判的な意見を持つように。(…すみません。)

 

 結論。「言葉そのものの力」だけでなく、その言葉を「誰が言ったのか」ということの重要さが改めてわかるお話でした。やっぱりうまくいっている人の言葉は重い。

 あと何事も頑張ってる人を馬鹿にしてはいけない、自分が調子乗ってるときに読むと良き。戒め。自分が頑張れなくなる、自分も馬鹿にされていると心配になる。行動が制限される。「逃げ恥」の百合ちゃんの言葉みたく「自分に呪いをかけている」みたい。

 「観察者気取り」ってぎくっとした。まず言われてしまう環境って悪いよね、自分が熱中できない環境ってすごく寂しい。そこでどうにか「観察者」の役割として存在しているわけであって、自分が本来の能力を発揮しているわけではない。

 自分が「観察者」でないことは幸せなのではないでしょうか。観察者はどこまでも「脇役」な感じがします。自分のことではなく他の誰かをネタにする。

 そして「観察者」は完璧な人間でないと批判の対象になったときフルボッコ。「お前が語れる口でないだろう」それ言われてしまったらおしまいです(泣)「観察者」不憫説。

 夢中になれればそれだけで幸せだし有意義だし、それがもしうまくいったら万々歳。

 

 わたしも今のアルバイト先はやく辞めたい。適性がないっていうのは言い訳か。もう夢中になれんのだ、努力できない。長く続けて上達しないのはつらい。他のアルバイトを始めたい。大学卒業まで時間がない。新しいアルバイトも好きなことなら多少つらくても有意義。夢中になりたい。やれやれ仕方ない我慢。その職場で頑張ってる人をみてだるいと感じてしまう。面倒だと思ってしまう。人がいないからなんとなく続ける。夢中になれず「観察者」っぽい立ち位置でいることがつらい。もったいない。

 

 と最近の悩みと重ねてしまうのでした。

 うわーんでもほんと辞めたいんだ。

 

 以下好きな文章引用です。

 「個人の話を、大きな話にすり替える。そうされると誰も何も言えなくなってしまう。就職の話をしていたと思ったら、いつのまにかこの国の仕組みの話になっていた。」(p62)

 「理香さんはそう言ってその場に立ち上がった。あんまり大きくない会社で、という最後の一言が、冷めた紅茶の中で溶けきらなかった角砂糖のように、この部屋のどこかに残っていしまっている。」(p64)

 「こうして隆良のことを見上げていると、クリーニングをサボり、首の後ろの襟の部分が赤っぽく汚れ始めていることを、なぜか見透かされているような気がしてくる。」(p161)

 「そんな人と隆良と接触させたくない。」(p168)

 「瑞月さんは笑っている。とても自然な発言と行動で隆良の尖った自己アピールをきれいに封じて、やさしく笑っている。」(p205)

 「発言は少なめなんだけど、最後にちゃんとまとめたりしてて、すごいなって思った。地頭いいんだろうなって」(p206)

「このままこの話が終われば、隆良が正しいことになる。そうするわけにはいかない。」(p212)

 

  さて今回の記事はネタバレ記載に加えて書式に少し工夫をしました。太字とか引用とか。
(にしてもブログ開設時に申し込んだアマゾンアソシエイトからいまだ応答がない…)

 

 では今回はここまで、ありがとうございました。